瀬戸川模型工房のブログ

東京・練馬で鉄道模型専門の模型工房をやってます。主に工作日記と乗り鉄・取材の日記を載せてます。お問い合わせはこちらです。https://tomox14.jimdo.com/

2017年03月

今月のダイヤ改正で可部線が延伸したので、さっそく潰しに行ってきました。
てなことで一週間ほど留守をしまして、お問合せをいただいたお客様にはご迷惑をおかけしました。

桜の広島を狙ったのですけど、まったくもって咲いていない!

そんな中でも目を引いたのは山陽筋の黄色い電車でした。
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(糸崎にて)

113、115、117系の黄色5号って、割と似合うんですね。なんか欲しくなりました。
これって西日本の40N更新ってやつですかね?あんまり知らんけど。どっかのメーカーで発売されてないのかな。
この辺りの車両も老朽化が激しいから、新しい227系とかに順次変わっていくのでしょう。

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肝心の可部線は到着即出発という慌て様。
この路線は利用客が多いみたいだから、複線にしちゃいたいところじゃないのかな。ウチの瀬戸電とにたような環境で中心の都市から末端まで30分。ベッドタウンを結ぶ大事な脚です。
複線にするなら用地が辛いから、上下に二重構造にするとかかな。って、そんな簡単に複線化できませんよね。模型じゃあるまいし。

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宮島で焼き牡蠣食べ放題やって、福山の居酒屋で呑み鉄やって、食の方は満喫でした。

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二日目の尾道もソメイヨシノは望めませんでしたが、相変わらず気分のいい町ですね。もう何度目でしょう、この坂を楽しんだのは。

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とくに鉄道を意識した写真を撮るつもりではなかったんですけど、この町は上手く鉄道と馴染んじゃってますからね。
尾道ラーメンたべて、レモン大福食べて、のんびり過ごしました。
こんな海の見える温暖な町で、アトリエを構えたらどれだけ素敵でしょう。
さて、四月から工作、まくりますよー!

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それではまた。

このサークルの歴史シリーズにある画像でお気づきのとおり、僕はモジュールレイアウトにバラストを撒いてます。
線路がユニトラックであるところから、そのプラスティックな雰囲気を消したいのが目的ですが、電車区などはいまだにバラストを撒いてません。すなわちシステマティックでメンテナンスをすぐに行う必要があるモジュールは、バラストを避けるようになったのです。
しかし駅だけは最初からバラスト撒きとストラクチャーへの塗装、ウェザリングを施してきました。
その甲斐あってか、情景としても最低限は成り立っているように見えます。

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これは山線の登り口です。
M氏からこの部分だけを受け継ぎ、ちょっと気合を入れて作ってみました。
線路配線は単純なので「レイアウト製作」というより「ジオラマ製作」というべきかもしれません。
鉄道模型ではジオラマという言葉はあんまり使われなかったのですが、線路配線を伴う情景作りから、情景のみを抜き出したのがジオラマと呼ぶなら、これはジオラマに該当するのでしょう。

この画像ではまだ3線時代でありますが、このあとこのモジュールに直線を増設し、複々線改造をしております。
そしてその後、山線も転換期を迎えるのですが、それはまた後日のお話。

さて、直線部分が複々線となり、いよいよカーブモジュールも4線にすることになりました。
目的はあくまでも設営時間の短縮です。
しかしこれは大工事となりました。なんせ多角形のモジュールの外側にベースを延長しなくてはいけません。
そこで僕は普通では考えないようなパネルの延長を試みたのです。

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角材をL型にそぎ落とし、それを多角形の木枠の外側からビス留めしたのです。
まず角材の断面をL型にするというのが高度な技術でして、その辺は木工関係の道具がほとんど揃っている当工房だからこそ出来るのです。
これを日曜大工やホームセンターの工作室では無理でしょう。
そして多角形の外周に、一つ一つ現物合わせでカットしてくのも、角度調整の出来るスライドソーがないと不可能ですね。
よく親は「なんで注文家具とか大工とかやらないの」と言いますが、それでもプロの腕前ではないのですから、趣味の程度なのです。

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カーブはPC枕木のフレキを使用し、ジョイント部分だけは短く切ったユニトラックを使用。
バラストをペーストにして盛り付け、枕木との間は従来通り木工用ボンドでの固着です。
ペーストバラストはフエキ糊がオススメで、その後ボンド固着をすることで経年変化にも対応できますが、糊が100均のモノだとあとでひび割れを起こして剥がれる傾向があります。
ボンド水溶液はアクリルカラーでグレーに色着けしたものを使用してますが、これも効果的です。
今まで雑誌などで紹介された工法ですが、少しでもバラスト撒きの苦労を減らせる工夫の一つです。

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駅にバラストを撒いているシーンですが、ユニトラックは手動でのポイント切り替え用の穴があります。そこにバラストが入り込むと最悪ですので、マスキングは欠かせません。
ただ、これも前述のペーストを使って、防波堤を作るようにその穴への粒の侵入を防ぐことも出来ます。
それでもやはりゴミは入り、ポイント不動は中々防げませんね。
ちなみに下のほうに写っている窪みにKATOのストラクチャーをはめ込みます。



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踏切ですけど、カントのついたカーブに設置したため、マイクロエースの動力が乗り上げるという事故は多発しました。そのため後日渡り板を撤去し、決して自動車は通行できないようになってしまいました。
最近ではKATOのELもよく引っかかります。
それはスノープロウの取り付け位置がレール面にかなり近いためでレールの接合に段差がありますと、そこで思いっきり引っかかって停まってしまいます。
そしてここがユニトラックの欠点なのですが、ユニジョイナーの中で接続した二本のレールは上下にズレることができるのです。
TOMIXの現在のジョイナーはそれが出来ません。上下できっちり接合されますが、ユニジョイナーには余裕があり過ぎるのです。
そのため、レールの板への接着が不安定だと、固定式のレイアウトでもこのようなレール断面の段差が生じて事故を起こします。
両社ともお座敷運転を想定しての商品なので、レールの段差はアリと考えているハズ。
それなら車両側としては、実感的な設計なのはいいのですけど、運転本位なユーザーのことも考えて欲しいところでしょう。

さて、話は脱線しましたが、2011年の8月にほぼ全部のモジュールが複々線となり、11月の運転会では設営にとうとう1時間を切るというスピードを記録しました。

つづくー

ヤードから駅へのアクセスを立体交差にしたことで、運転上のストレスがかなり軽減されました。
この2008年8月の改正から、この形態は2011年4月まで三年間利用されましたが、概ね好評を得まして、僕は知人の息子たちを会に招くようになりました。(2009年4月)
当時小学一年生だった3人の男子は、憧れの電車の模型が目の前で快走するさまを見て興奮。
騒いだり走ったりしたら摘み出すぞ、という僕の怖い教えを守り、おとなしくその情熱を高めたのです。

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この子供を招くという試みは、大人の会である当サークルには結構勇気のいるものでして、独身男ばかりの会なので子供の扱いが分からないことや、大切な車両をゴジラのように扱われても困ることから、当初はヒヤヒヤものでした。
一度だけ僕が大人は自由参加で、子供中心の運転会を催したことがあったのですが、見事に大人は全員不参加でしたね。
しかし、子供は躾ければよいのです。
彼らはその後ちゃんと節度を守ったいい運転士になりました。

こんな感じで安定を続けていた運転会ですけど、真っ先に飽きがくるのが僕です。
直ぐに現状に満足しなくなる。
現時点での駅の運転利用を考え、メンバーに要望を尋ねます。
すると今までは「別に今の状態でいいから」という答えがほとんどでしたが、ぼちぼち要望が出るようになりました。
・渡りは脱線の元になるし、暴走による衝突を避けるため無くしたほうがいいのではないか?
・立体交差で本線をくぐるヤードは、パンタを上げて走ると上の橋げたに引っかかることがある。また、勾配が登れない列車が多発。
・ポイントコントローラーが一つしかないので、列車の交換がしにくい。(内中外線は一つの制御盤で行っていた)
・外周線(0番線)を組むのに手間がかかる。バックストレートの直線モジュールが3線のままなので、さらにモジュールを改変すべきか。

内・中・外・0番線の列車の渡りは、僕の意志で僅かでも残していたのですが、たしかにポイントに引っかかる車両が出てきます。脱線は避けたいものです。
立体交差は大変雰囲気の良いものでしたが、上れずに駅構内に入線できないELやSLの列車はいきなり興ざめです。それでも勾配は2.6%なのですけどね。
そして人間の動作(操作)を考えれば、たった一つの操作盤では三人がそこに操作をしに来るわけで、当初は”声かけで済む”と思っていたのですが、やはり個人のペースを尊重するのであれば、一人1線1パワーユニット、1ポイント制御が好ましいのです。
また、満を持して増設した単線高架モジュールも設営時間の延長につながってしまいます。
その当時、座卓のテーブルを並べてモジュール設営を開始し、一番列車が走るまで2時間近くかかってました。
この時間を短縮しなくては楽しみの時間が増えないのです。
それにメンバーの増加による運転待ちも減らしたいものです。

そして僕は問題解決のために電車区を製作しました。

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画像左のものがそれで、長さは800X4=3200mmです。
内線はあくまでも専用ヤードがあるためスルー。ただ中線との間に渡りがありますが、これは中線のヤードを4線にした時のことを想定して作りました。
外線にも三本。ここにも0番との渡りがありますが、要するにプロトタイプが右にあるヤードだったのでその改良版なのです。

この電車区をエンドレスレイアウト上での駅の向こう正面に組み込みました。
中線と外線のパワーユニットと配置、ポイントコントロールはモジュールパネルに取り付けました。
これによって4線のコントローラーが分散され、人混みが解消となったのです。
バックストレートに電車区があれば、そちらでの不測の事態に駆け付けれる人員が居ることになるのですから、脱線の復旧はいち早く行われることになりました。
また今までメンバーの直線モジュールは三線だったのを、一気に複々線に改造したのです。
僕だけで6モジュール、他のメンバーの直線が4つと、全部で10モジュールの一斉改造です。
この改造で4線のレイアウトを設営する時間は大幅に短縮しました。
でもこの段階ではカーブモジュールと山線は3線のままでしたので、単線高架カーブは必需品となりました。

さて、かつて立体交差で利用していたヤードは電車区へと姿を変えてしまいましたので、立体交差のモジュールは廃棄決定です。
駅もその立体交差に向かう引込が不要となったので、立体交差を廃棄する前に僕はそこを利用して実験的な線を製作してみました。

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旧8番線を二つに分け、クロスレースを介して4番線という新しい路線を作ったのです。
そしてこの4番線はエンドレスではなく、0番線をアンダーパスしたのち、テーブルの上でお座敷的に組まれたリバース線を通って、駅に戻るというものです。
列車の編成も小規模なものしか無理ですし、放置しておくと駅に戻ってきて突っ込むという仕組みでしたが、やはり一度はリバースを組んでみたかったのです。この気持ちはレイアウトを作る人ならお分かりになると思います。
で、二本あった島式ホームのウチの一本を大胆にも撤去。
実はホームがあると列車は載せられないわ脱輪は直しにくいわで、イマイチよろしくないのです。
それにホームがあるからと言って誰も停車させないということが観察から得られました。
列車が客扱いしているのをまじまじと楽しむやつが少なかったのです。
それが証拠に電車区は大人気となり、駅はメンドクサイという流れになっていきました。

また、電車区が人気になったのは、双方向からの出入庫が可能だからです。
ヤードは出入り口が一方向のみ。
となると電車・気動車は良いのですが、牽引列車は全て方向が決まってきます。
もっとも上野駅のブルトレやカシオペアみたいに後ろ向きで駅に入線すればいいのですけど、それが不向きなのが鉄道模型。しかも勾配があるからELはフル編成の客車を押し切れなかったのです。
そして牽引列車はみな同じ方向を向くようになる。すなわち同じ回転をし始める。
ヤードでの組成と入線、運転をしていたころ、本線では呪われた渦のように皆同じ廻り方をしたのです。
それが新規導入の電車区では起きない。
メンバーは電車好きが多いのです。
僕が僕の資金と労力を使って作った駅は、やはり蒸気機関車好きの配線となっていたので、ヤードが基本だったのです。この違いはこういう配線計画にも表れるのですね。

つづく




(書いている僕が分かりにくくなってきましたので、サブタイトルをつけさせていただきました)

2008年五月。
当サークルの鉄道は新たに外周線(呼称は何故か0番線)を持つことになりました。
増加するメンバーとゲスト。過密するダイヤを解消するために僕が一気に建設してしまったのです。

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 前述の9番線以降のヤードを双方向出庫できる電車区として利用価値が高いと判断し、また平面交差の持つ問題をクリアするためにクロス区間の廃止を推し進めました。
配線図の最下段と信号所(第二形態)がそれを指します。
嗚呼、苦労して切断し繋げたユニトラックのクロスレールは、この時期から鉄道遺構になりました。
当然この配線では外線と中線の列車組成は最悪となっております。
でもそれをわかっててのこの変更です。
では外周線を見てみましょう。
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大半径850mmのカーブです。
これは3mm厚のスチレンボードをベースに、建築建材の「目地材」(塩ビ製)を両側にはめ込んで防音壁に見立てた単線高架です。
各モジュールに電源フィーダーを付け、脚はTOMIXのものをワンタッチでハメれるようにしてあります。
尚、このモジュールに限らず、当サークルのモジュールは全て給電がなされておりますので、電圧降下は駅とヤードしか発生しませんでした。
構内は減速ですからちょうどよかったのかも。

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この外周線の新設は一度に4人の運転士が楽しめるという改革がなされ、しかもちょっと雰囲気が良かったのです。
この外周線はそれ以降の当サークルの鉄道に革新を与えたのです。
ですが、設営にさらに手間取ることと、駅向こうのバックストレートの分も、他の直線モジュールを供出しなくてはならない欠点がありました。

そしてさらに三か月後の2008年八月。

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駅は大幅に様変わりします。
1,2番にシーサス。1番線の左手に機関庫に発展しそうな留置線を設置しました。
3番8番の渡り機能を左側だけカットしてしまい、そこからヤードに向けて枝を伸ばしました。
まだ三線の渡り機能は半分だけ残してあります。
五月の改正で不足していた中・外線のヤードを以下のように立体交差による構内接続に変更したのです。

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この動画ではすでにこの立体交差モジュールにもバラストが撒いてありますね。
本線をかき分け、地下から組成された列車が上がっていく様は壮観でした。
大きさ的には300X800の”巡洋艦”並みなのですけど、立体ということで”重巡”といっても差し支えないでしょう。
これで発足以来続いていた中線の列車供給問題は一気に解決したのです。

それにこのころ、当サークルは大胆な攻勢にでます。
山間部にその軌道を伸ばしてループするというものです。

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これは五月から仮営業がなされてまして、メンバーのM氏の計画と製作です。
2モジュールの1600mmで立体に必要な分だけの高低差を克服するもので、新疋田~敦賀の鳩原ループっぽく出来ないか、というイメージから作られました。
とはいえ欲が出るものですので、単線ではなく複線でループさせてしまおうというのですから、上下線がループというのは変ですから、立体交差というべきでしょう。
ちょうどこの当時は、特急雷鳥のラストランが迫ってまして、僕も深雪の中、この鳩原まで撮影に行ってエライ目に遭ったものです。

この2008年はサークルの最盛期の皮切りとなった年でした。

つづくー


さて、2003年から2008年までの五年間は僕の以前の仕事が忙しかったりして、配線レイアウト的にはあんまり進みませんでした。
また、運転会自体も一年以上やらなかったりと活動が弱まった時期でした。
モジュールの主要部分であるカーブや駅、信号所にヤードなどはほとんどが僕が作り、管理も僕であったこと、そしてプライベートでも精神的なことでもあまり活発ではなかったのです。
それでもカーブモジュールに簡単なシーナリーやストラクチャーを作ってました。

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これは右側のカーブに石垣を立てれるようにしたもので、石垣は外せます。架線柱用の穴はハトメを利用しました。これも着脱式です。
ヤードのパネルにペンキが塗ってありますが、こういった木材にはすぐにペンキなどを塗布するのがオススメです。できれば裏側も。(僕は手抜きで塗りませんでしたが)
これは木材の呼吸を止めるもので、反りや割れなどを防ぎます。
それにすべてにバラスト撒きなどすると、見た目は良いのですが、重くなります。
これは固着させるときのボンドに含まれる水分がそのままパネルに留まるためで、運転会用のモジュールは運搬し易さも考えなくてはならないため、一概にバラストを撒くのがよいとは言えないことを知りました。
それでも僕は気に入ったモジュールにはバラストを撒き続けたわけですが。

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(現在はこの切通しヴァージョンはありません。)
運搬と収納を考えたモジュールですので、この辺のデコレーションが限界でしたが、通常は列車の全景を見せたいところを、わざと切通しにしたことにより、見たい人間の視線を意図的に誘導したのです。
当時、和室の大広間で運転していましたので、どうしても視線は鳥瞰になりがちです。
そこで視線を下げさせるために工夫しました。これだと頭を下げなくては見れません。
これは結構メンバーにはウケました。

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駅にもバラストを撒き、ストラクチャーを並べてます。建物は全て着脱式です。
ここでも工夫なのですが、ユニトラックは道床が高いので地面がそのままでは建物はレール面から4ミリも低いことになっていて、KATOのストラクチャーは4mmの嵩上げがされていますね。
そこで地面の高さをあげるために、3mm厚のスチレンボードを両面テープで貼ります。そこに地面の表現を施してから、建物を置く場所だけくりぬくのです。
その凹みに建物をはめ込むことで、割と自然な地面の高さを得られ、しかも着脱にも支障がなく、さらにスチレンボードは軽いので、不要にバラストを多く撒く必要がありません。すなわち軽量に役立つのです。

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(レールとレールの間にスチレンボードを貼り、その隙間を木工パテで埋めている様子)


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暗い画像ですが、手前のカーブは”左側のカーブ”でして、枯草の野原を走るイメージしました。
このサークルが発足してすぐに完成したものです。
枯草は化学繊維の雑巾を染めて貼りました。道床の茶色を濃くして、ローカルな区間をイメージしたものです。
これにもカントがつけてありまして、畳の上で寝転ぶと、やや見上げたところに車体を傾けた列車が走り去るのが見えます。
これも当初はメンバーにウケました。
この枯野のモジュールは今でもあります。


さて、話を2002年に戻しますが、ヤードにあった片ギャップはデビューしたその日に解体しました。
一本のヤードに二編成も留置するニーズがなかったのです。
そして運行上の不都合が多発していきます。

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問題は画像右手の信号所の平面交差です。
ヤードから内線に渡るのに、中線・外線を交差するわけですが、その作業中は全運転士が傾注しなくてはなりません。
でもまあ、列車運転中ですから、注意力散漫はダメですけどね。
さらに中線の渡りに至っては列車が”S”の字になって渡ります。これは徐行しても良く脱線したのです。
脱線すれば全列車運行が見合わせとなりまして、これは大きなストレスです。
それを避けるためにヤードで仕立てた列車は外線9番に流れるのが人情となり、しかも駅と信号所の間に2モジュール(長さ1600mm)を挟んだので、9番線は大いに電車区としての機能を有します。
すなわち、中線や内線にヤードから列車を供給するのは、本来の意図から離れて避けられていき、内線は三本のヤードを延長することでカバー。
中線は相変わらず使い勝手の悪い線のままでした。

そんな状態で2008年、この鉄道は改革を迎えるのです。

つづく

これが第三次 八・八駅の形態です。

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第二次と比べると駅は9番線からの留置が一本増えてますが、右隣に信号所を作っています。
そして矢印のヤードへとつながってますし、内線・中線も平面交差でヤードへつながってます。
中線への列車供給は楽になり、本線上で組成する必要はなくなりました。

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ヤードには半分のところに片ギャップとスイッチを設け、8両編成なら一つの番線に二列車留置できるようにしました。全長800X3=2400mm。

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(実は僕の所蔵する画像データーは2016年のHDD破損により、すべて消失されてしまいまして、サークルの貴重な活動記録は何も残っておりません。全国各地を取材した画像データもです。
この画像は僕がやっているSNSの日記から転載したものです。)


これが2003年ごろの写真です。9番線にもう一つ留置線があります。(図面には載ってないけど)
まだバラストを撒き終えてません。ストラクチャーも製品のまま載せてあるだけです。
駅モジュール4つを接続するレールにもバラストが施されてます。これはちょっとした工夫で自作した専用の接続レールです。
この当時の駅は大変あっさりとしてて、リアルには程遠い外観ですが、駅はこれ以降どんどんとジオラマらしくなっていきます。
奥の方に複線高架がみえます。すでに別系統の新幹線専用軌道が実施されてますね。

また、この会場は和室ということもあり、座卓の上にモジュールを展開してます。
このメリットは、

・床が畳なので、車両の落下の際に破損が軽減される。
・跨げばエンドレスの内側に入れるので、内線の列車組成がしやすい。
・畳に寝転んで見ると、快走している車両がより実感的。

ですが、デメリットとしては、

・立ち上がるのに足腰の負担がかかる。(40代後半になってから辛くなった。ジジ臭い話ですが)
・畳が凸凹しているので、モジュールの水平が取りにくく、路面がバンピーとなり脱線が多い。

とくにバンピーはいただけませんので、薄い板切れやマイナスドライバーを座卓とモジュールの枠との間に差し込んで、フリクを抑えてました。
しかしこの和室での開催は約10年ほど続いたのです。まだ畳の上の方が居心地が良かったのでした。

さて、これが信号所とヤードの画像です。

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この四つのモジュール(300X800)の中央に枠だけが立ってますね。
これは組み上げて収納・運搬のためにあります。
合体すると・・・・

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このように一つの箱状になります。
AとCがさかさまになっていますね。これでモジュールの裏面が上になっていることが分かります。
これによって、防塵と電線コードの破損をカバーしているのです。
重量としては結構な重さになります。バンドを締めることで木製のモジュール枠の歪みも防止できます。
実際14年も使っていて、いまだにこのモジュール枠に歪みやヒネリはありません。
押し入れにもスッキリと収納できますので、オススメです。
その他、カーブモジュールも直線モジュールもすべてこのように合体可能となってます。

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ちなみに駅はこんな感じで、やはり合体できます。
僕ら昭和40年代生まれの男子の本懐は「合体・変形」。スーパーロボットはみんなコレ。
駅のホームは収納のために上屋は別保管です。
左下にはポイントコントローラーが写ってますね。ご覧の通り、ほとんどが押しボタンスイッチになってます。
まだ接続にプリンターケーブルを使ってますね。

さて、この第三次形態の駅ですが、もう皆さんもお気づきのとおり、使用しづらいことが多々起きてきました。
それはまた次回に。

つづく

運転会サークルにはルールを作りました。

1、 各員それぞれ最低二つの直線モジュール(150X800)を持つこと。
2、 入会金はそのモジュールの材料費で、決して各員から資金を集めた共有財産を作らないこと。
3、 入会時に接続レールのユニトラックS62を6本、会に寄付すること。

1、については、モジュールサークルなので当然です。両端を31mm控えてユニトラックで接続できるようにします。ですが、その直線区間内は他社のものでもフレキシブルでも構わないことにしました。フレキを使うと安上がりですね。
2、は最悪サークルから脱退したい人が発生した時の措置です。この手の趣味のサークルはどうしても内部分裂を起こしやすいのです。僕にとってこのサークルは初めてで且つ唯一の団体ですが、仲間には分裂や解散の経験者が居ました。彼らの意見を参考に、もしもの時に備えて「個人財産の持ち寄り」にしたのです。
”あのポイントは俺のだー!返せー!”を避けたわけです。

さて、レールの選択をユニトラックにしました。
それはユニジョイナーの接合が強固であったことと、道床が幅広く安定していそうだったことです。
というわけで僕は手持ちのTOMIXレールをすべて処分し、ユニトラックを買い替える羽目になったのですが、その時運よくレールを大量処分したい人と出会いまして、アホみたいな値段でミカン箱三つ分のユニトラックを手に入れることができたのです。まさに渡りに船。I 本さん、ありがとうございました。

そして考えに考えた末の駅(第一次)が完成しました。
カーブもパネルに釘留めしただけの状態で初めての運転会を挙行しました。
2001年某月、各員のモジュールを接続し、電気的なトラブルを解消してスタートです。
一番列車はなんとM氏のユニオンパシフィックのDLに牽かれた長大コンテナ列車でした。
周回約17mを重厚感たっぷりで走行する姿は圧巻でした。
場所は名古屋市南区の生涯学習センター和室。30畳の大広間は歓喜の声で包まれたのです。

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これが第一次型の駅です。
外、中、内の線に対し、それぞれ3本の”番線”がある駅で、3番線と5,6番線は隣の本線に行き来できるようにしてあります。また1,9番線はそれぞれ三本の留置線(ヤード)につながり、本線もヤードも画像右手にある直線モジュールで接続・延長できるようになってます。
駅の長さは800X4=3200mmで、フル編成が停まれることを目指しましたが、新幹線とブルトレ15両編成はホームには収まり切れませんでした。
しかもこの駅のポイントコントロールは全て押しボタン式であり、メーカーのポイントスイッチやトグルスイッチを使用しませんでした。
1~9番線には押しボタンスイッチで関連のポイントが一斉に切り替わるダイオードマトリクス回路を組んだのです。
前述の3,5,6番線には二つのボタンがあり、列車を出したい本線をその二つのボタンで選択すれば、ポイントは連動する仕組みになってます。
これをデビューさせたとき、この制御方法が理解できないメンバーが結構いたのですが、使いやすさを重視したことがすぐに理解できたらしく、みんなから感心されましたね。

ただ、すぐに問題点が露呈しました。

・シーサス(ダブルクロス)の不動が多い。→原因は電気的?物理的?
・中線に列車を載せるとき、駅ではできないので本線上で作業することになる。→中線にはヤードがない。
・ポイントを最大8個も転換させるため、電流が足りずに不動を起こす。→原因は電源?コード?

シーサスの問題は、パネルから外してみると軽やかに作動することから、パネルへの取り付け方が悪いことが判明しました。
これは全てのポイントに言えることですが、ポイントレールそのものを犬釘でパネルに留めるのは上から押さえつけてしまい、内部の転換動作の妨げになるのです。
僕は全てのレールを犬釘で留めてましたので、その押さえつけが原因だったのです。
ここからの教訓としては、ポイントレール自体は板に留めず、両端のレールで留め、ポイントレールは板に置いてあるくらいの状態が好ましい、ということです。
またこの方が取り外しおよび整備がしやすいことにもつながりますね。

中線の列車組成問題は抜本的に考え直さなくてはなりません。
これは今後の展開に続きます。

ポイント切り替え用のアンペアは、電解コンデンサーのパワーディスチャージャーを組み込むことで解決しようと試みました。
前述のとおり、この駅はダイオードマトリクス回路で動作しますので、通常の直流2線式のポイント制御ではなく、直流産3線式に変えてます。電流を確保するためにケーブルの径を太くしたりと、この辺の試行錯誤はその後も続きました。
まず、ポイントに電流が上手く供給できないときは、真っ先にケーブルを疑うべき、という教訓も覚えましたね。

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翌2002年になると、二つのシーサスで中・外線の列車乗り入れが可能だった5,6番を整理しました。
この渡りポイントはその後しばらく残ることになりますが、シーサスの不調をカバーしたものの、6番線をつかってまで中線の運用が発生しないという現実に直面し、ほとんど渡る機会がありませんでした。
何故運用されなかったかというと、9番線で仕立てたA君の列車が周回して6番線に進入したとして、中線を制御するB君は、A君所有の列車を運転しないからです。要するに仲間とはいえ、他人の持ち物である列車を勝手に運転はしないってことです。
これってあたりまえなんですよね。傷でもつけたら嫌だし。
すなわち多人数で運転する運転会では渡りなんて要らない?という現実も出てくるのです。
でも僕は一人でもこの駅を楽しめるように設計したのですから、渡りは当然必要だと思ってました。
しかし相変わらずこれでは中線の列車の仕立ては不便です。
例えば内線につながるヤードで列車を組成し、1番線に入ったとして、それを中線につなぐ3番線まで周回して行くとします。
するとこの運用のために1,3番線に空が必要となり、内線はこの作業が終わるまで2番線で列車待機となってしまうのです。
ですので、中線制御者は引き続き列車組成を本線上で行っており、ヤードからの渡りを行っての運用は現実的ではなかったのでした。

そこで僕はこの駅の形態は変えずにこの中線問題を解決しようと、またしても配線の変更をおこなったのです。

つづく

僕が所属している運転会サークル「八・八 サークル(はちはちさーくる)」は今年でたぶん17年目を迎えます。
たぶん発足したのが2000年だったと思います。
この”たぶん”ってのがミソでして、いい加減思い出しておかないと、老いてどんどん忘れてしまいます。
この辺でこの17年の歴史を当サークルの駅モジュールの変遷とともに振り返ってみましょう。

(あくまでもこれは僕とサークルメンバーの忘備録でありますので、車両工作にはなんの寄与はありません。
ですが、駅を中心としたレイアウト作りや、運転会サークルをこれから作っていこうとする人には、多少の参考になるかもしれません。)

まだ僕が名古屋市東部に住んでいたころ、隣の駅の近くに模型やおもちゃの中古を販売しているお店がありました。
そこをたむろしている内に、Nゲージが好きな仲間が出来ました。
僕はそれまでの間、一人でNゲージを楽しんでいましたので、同好の仲間ができるのは初めてでした。
工作、実車、様々な鉄道のジャンルに詳しい仲間が出来、僕のNゲージ趣味もどんどんと熱を帯びていきました。
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(これは僕の初期の工作で、旧KATO C62を2号機にしたものです。白帯をICテープでやってますのでキャブ下がはがれかかってますね。このヤードのモジュールは16歳の時に作ったもので、今でもただの展示用になり下がってます。)

さて、仲間が6人ほどになり、どんどんと模型談義に花を咲かせていくと、どうしても運転したくなるのが世の常というものです。
そんな時、メンバーの所属する他の運転会に徹底改造したD61を持参しました。
それがリアル感を求めすぎ、キャブとテンダーの距離を詰めすぎたため、TOMIXのC280が通過できなかったのです。
「こんなん半径の小さいカーブが悪い」
僕は自分の車両が曲がらないのを天下のTOMIXのカーブのせいだと言い放ったのです。
これを聞いたメンバーは「それじゃ大半径のモジュールを作らんとねぇ」と地雷を差し出しました。
ええ、僕は自らその地雷を踏んだのです。
「作ったろうやんけ。」
これがこのモジュール製作と運転会サークル「八・八」の始まりとなりました。

僕はその当時、建築設計や営業、監督から作業員までなんでもこなしてました。
そんな土壌があったので、モジュールのサイズを決めるときには、まず第一に収納しやすさを考えたのです。
押し入れに縦に収納できるようにする。
ここから長さを800mmにしました。
このサイズは日本家屋のモジュールである”3尺=910mm”で柱を構成しているところから、押し入れの内寸は大体805mmくらいになるところからの決定です。
ホームセンターで売っているベニヤが910mmなのもそこから来てますが、800mmにするのには、いちいちカットしなくてはなりません。
でも僕はそんなのガン無視。とにかく収納を優先したのです。
ええ、既製品のレールの長さの倍数とかもガン無視です。

当時、僕はTOMIXのレールを使ってましたので、複線間隔は37mm。
複線プラス支線という三線で設計ですJANTRACK規格を模倣したのです。

イメージ 2
このレールはモジュールパネル150X800mmを6枚つかったものでして、狭いマンションになんとか広げれました。
しかしお気づきの通り中線にはなんの仕掛けもありません。ただの通過線。
これでは瞬間的に飽きますよね。
しかもくみ上げるのに6個のモジュールを連結しなきゃいかんし、TOMIXのレールはすぽすぽ抜けてしまいます。(今はマシですが)
ええもう、たった一回走らせて、その日のうちに解体しました。
ですからこの第零次駅モジュールを知っているメンバーは2人だけですし、彼らも覚えていないでしょう。
まさに幻の駅です。

ちなみにこのサークルの名前、「八・八」ですが、

・モジュール長が800mmだったこと。
・名古屋市で発足したので。名古屋のマークは丸に”八”です。
・発足時は6人だが、すぐに8人になったこと。
これらが理由で名づけられました。

ミニタリーがお好きな方は「八・八」と言えば、旧帝国海軍の「八・八艦隊」を思い起こされるでしょう。
当時僕らもそんな呼び名で言っていた時もありましたが、ちょっとイタイので頭の部分だけ残ってます。
しかしモジュールの大きさを分類すると、サイズの違いから駆逐艦、巡洋艦、戦艦、空母と認識しやすかったですね。
今でも僕は4つの駅モジュールのことを空母だと思ってます。赤城・蒼龍・加賀・飛龍・・・

さて、第零次で課題となった中線の有効化、基本モジュールの量産化、メンバーは6人。
大見栄切ったカーブモジュールも作らなくてはなりません。
半径700mmを中心にし、663mm、737mmと相当に大きく設計。
しかもカント付で、フレキシブルでの製作。
おかげで僕の改造SLは余裕で走りましたね。
僕は仕事の合間に正規空母である駅モジュールと、大カーブモジュールの製作に明け暮れたのです。

つづくー







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